二、隣松院二、隣松院

隣松院のある⾵景

現在の社務所にあたる所で、寛⽂2年(1662)に御社殿のご造営と共に建てられ、その名称は松林のつらなる中にある事を意味しています。
また歴史の⼀舞台にもなった所で、幕末の⽂久3年(1863)4⽉23⽇に14代将軍の徳川家茂が攝海防備の視察に兵庫を訪れた際に、ここで勝海⾈と共に昼⾷会を催し、同年11⽉13⽇には台場築造⼯事の視察に際して15代将軍の⼀橋慶喜が訪れています。他にも俳⼈の与謝蕪村が明和3年(1766)と安永7年(1778)の⼆度にわたり俳諧の会を催しています。
こうした⽂化の花を咲かせ歴史の⼀舞台となったこの建物も明治34年に造船所建設の為に移転を余儀なくされ、松林も消失してしまいました。

明治32年以前の和⽥神社 現在の三菱重⼯業㈱神⼾造船所内
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